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多くの最高の出会い,それらの人々が
僕のチャレンジ精神を支えてくれる



知識工学の教授になった経緯


僕が大学院博士後期課程に進学したきっかけは小学校の卒業にある.クラスのみんなに書いてもらった寄せ書きの多くに「三木君 博士になって下さい」と書かれていたからだ.理科系に進んだきっかけは父親にある.僕が小学校だった今から40年前,新しいもの好きの父は家庭では珍しいステレオや電気掃除機,あるいは英文タイプライターなどを買い,僕はすっかり文明と科学の虜になってしまった.だが,現実は厳しい.進学校で好奇心が多すぎる学生は成績が上がらず,また中学3年生のときに母が病気で亡くなったこともあって人生のはかなさを感じ,大学時代は鳴かず飛ばずで遊んでいた. 転機は大学院で訪れた.良い教授,助教授,講師,多くの大学院生に囲まれ,研究の面白さを知り,研究室の主となった.自分の考えた理論通りに結果が出る喜び,研究論文が出る喜び,学会で多くの研究者と語り合う喜び,そして何より自分の時間がすべて自由になる喜びは何物にも代え難かった.あとは自分が面白いと感じることを手がけ,その中で自然に訪れる最高の出会いを楽しんだ. 僕の得た最高の宝は良い人と出会えたことである.大学の友人と恩師,大学院の友人,先輩,それに恩師,それから勤めたいくつかの職場での同僚,先輩,恩師,学会でお世話になった友人や恩師.僕の人生のほとんどは,これら20名ぐらいの人達が切り開き,支えてくれた.多くの人達が僕のチャレンジ精神を支えてくれ,その成果がまた次の最高の出会いを生む,この繰り返しで僕の専門分野は複合材料,材料設計,構造最適化,航空工学,システム工学,人工知能,並列処理と変わってきたが,いつも僕を引き上げてくれる人がいた.結局,世の中はすべて人と人の出会いに還元される.良い人と出会うこと,相手からもそう思われること,それが自分の力をつけ,人生を拓いて行く.自分の興味あることに全力投球すれば,結果は自然に出てくる.そして,その結果は必ず誰かが見ている. 僕が同志社大学の知識工学科の教授になった理由は極めて簡単だ.僕の研究の興味が機械から航空宇宙へ,そして情報系へと変化したからであり,知識工学科が新設で超並列計算機が購入できたからであり,京田辺キャンパスの環境が最高だからであり,そして何よりも同志社大学をこよなく愛しているからである.僕は同志社大学だけでなく,その学生も最高に愛している.



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